葉山通信
(前号38号より続く)

 そんなある日の事、愛蔵版『SWAN 白鳥の祈り』に載せる番外編の原稿に向かっていた私は、誰かの視線を感じてふと目をあげた。窓辺の隅に置いてあるお気に入りのチェストの上でエジプトの猫の置物(Bastet)になっている彼女が、じーっと私を見つめているのだ。ふつう動物は人間と視線が合うと自然と目をそらしてしまうものだが、彼女は私の目の中を覗きこむように見つめたまま微動だにしない。
 私もまた、なぜか視線をそらす事ができなくなり、そのまま数秒? いや数十秒ほど見つめ合ったまま、周りの空間とともに固まったようになってしまった。
 次の瞬間、私は突然、自分がどこにいるのかわからないという奇妙な感覚に襲われた。どこかはわからないが確かにそこはサンフランシスコの友人宅ではなかった。まるで……他の次元に意識だけが迷い込んだような摩訶不思議な感覚……! 私はあわててまばたきを繰り返し、固まった身体を動かそうとした。すると彼女は、すっ……と私から目をそらし、何事もなかったように窓の外へと視線を移してしまった。本当にあっという間の出来事だったが、あの不思議な感覚は今でも忘れられない。
 猫は次元を超えて移動するという話を聞くが、あれは本当だったのだろうか!? いや本当に彼女は私を何処か別の次元に連れて行ってくれたのだろうか??
 その後、滞在中に何度も彼女の目を覗きこんでみたが、その奇妙な体験は私の帰国まで2度と起こる事はなかった。ただ……、その日を境に彼女の私に対する態度が変わり、時折、私の頬に前足でやさしくタッチしてくれたり、素直に身体を触らせてくれるようになった。そんなわけで私の帰国時に少しは寂しがってくれるかと期待したが、さすがにそれは起こらず、いつものひょうひょうとした態度で、例のお気に入りのチェストの上から去っていく私を見送ってくれた。
 自由気ままでマイペースな彼女のあの柔らかい肉球の感触が、今でも時折懐かしく思い出される。
 これからは、もし人に聞かれたら、私はきっと少し迷って「猫派かも……」と答えてしまうのかもしれない。

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